なぜ「個性」は人々を惹きつける社会的テーマとなったのか。日本社会は「個性」にどんな理想=幻想を思い描いてきたのか。大正期に教育的価値として「個性」が浮上し最初のブームが起こったあと、1980年代に再ブームが到来。『窓ぎわのトットちゃん』のヒットもあり、臨時教育審議会で「個性化教育」路線が推進される。そして社会的価値として定着したこの言葉は、現在も「障害も個性」のような言説によって論争のタネであり続けている。日本の公教育の歩みに即しつつ、「個性」概念の来歴を振り返る。
一度でも、「個性」という言葉に何か引っ掛かりや、疑問、懐疑を抱いたことがある人は読むべきだろう。 結論自体はある程度これまで経験的に考えてきたことと重なる部分が多いだろうが、個性という難しいテーマを据えながら実証研究を行ったこと、歴史をたどりながら個性がこれまでどう用いられてきたのかを明らかにしたことは、大変意義のある仕事と言えるだろう。さらに、歴史社会学を学ぶ上でも参考になるだろう。 本書のエッセンスを詰め込んだ文章を以下に掲載する。 「ともあれ『個性』は、これからも引き続き、教育的・社会的な価値であり続けるのだろう。しかし本書において何度も繰り返し確認してきた通り、それは決して素朴に信じられているほどにはイノセントな概念ではない。思えば「個性」の語は、当初からそれを扱う側のそれぞれの立場に応じて、じつに都合よく解釈されてきた。そこに投影されていたのは、ある種の理想や信念や希望であった同時に、偽善や欺瞞や打算であったり、利害や権益でもあったりもしてきた。そして場合によっては抑圧の契機をも含みながら、この社会に深く根付いてきたのである。」(p.255) 個性という語はこれまで、その社会状況を反映する形で都合よく利用されてきた。単なる個の特性を示していた語が、政治的に利用されたり、経済的に利用されたりしてきた。 そうした歴史を知ることで、現在の社会や教育の見方が大きく変わるだろう。
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