コロナ禍で変わったこと、変わらなかったこと、変わるべきことは何か。東京一極集中の弊害、空洞化する高等教育、査定といじめの相似構造、感染症が可視化させたリスク社会を生きるすべを語る、哲学者と医者の知の対話。
あえて言いますが「また同じことが書いてあります」。 基本的に内田さんも岩田さんも以前どこかでおっしゃっていたことを繰り返し語られています。 違うのは取り上げられている事象の方。 でもそれは当たり前のことではないでしょうか。 ある人の考えは様々にバージョンアップされたり、改変されたり、脇道へそれたりとするでしょうが、その本質的な部分で大きく変わることは(あまり)ないと思います(むしろ本質的な部分がころころ変わる人は信用できないでしょう、きっと)。 一方で現実は目まぐるしく変化する。今回主要なテーマである「コロナ禍」は、現実がいとも容易く一変するということを残酷なほど分かりやすく僕らに突きつけるものでした。 さて、内田さんの意見について「いつも同じでつまらない」という人がいますが、これはだからある意味当然です。まあそんなものだろうな、と。 でもだから読む価値がないかと言うとたぶんそうでもない。それが「正解」ではないにしろ(本書でもある通りたぶん「正解」って現実的にはほとんど「ない」のだと思います)、何か本質的なものを言い当てている言説(それはたぶんいっぱいあるのでしょう)、何度読んでも新しい気づきを与えてくれると思います。 少なくとも今回も僕は二人の対談をワクワクしながら一気読みしました。 反対に内田さんの言っていることは最近よく分からないとか、最近の考えには賛同できないという方もちょくちょく(僕の周りには)います。 でもこれもある意味当然。内田さんご自身が断われている通り、内田さんはさまざまな「予言」や「仮説」を提示されます。その「予言」や「仮説」すべてに賛同できるなんて可能性はまずありませんし、もし内田さんの言っていることすべてに「なるほど!」とうなずいているのなら、それはたぶん内田さんや岩田さんが考えておられる「知性」の在り方とはほど遠いものであるような気がします。 個人的に今回刺さったのは内田さんもあとがきで触れられている、岩田さんの「医者は往生際が悪いんです」という言葉。 僕も教育に携わるもののはしくれとして「教育者は往生際が悪いんです」と言ってみたい。 それは裏を返せば、もう半ば諦めてしまっている自分がいるということなのですが。 少なくとも本書を読んで、もう一回、少しくらい足掻いてみようかなという心持ちにはなれたように思います。
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